蓼科高原開発の歩み
先日、蓼科の旧家の方から、「こんなものがあるわよ」と古い新聞記事のコピーをいただきました。それはなんと蓼科の歴史に関する25ページもの連載記事! 昭和の末(頃だと思います。新聞記事のコピーに日付がなく、正確なことは分かりません)に長野日報さんに連載されたものだそうです。著者は五味幸男氏。
読んでみると、とても面白いのです。見覚えのある、蓼科の地名、人名、お店の名前などたくさん出てきて、なるほど、こんなことがあったのか!と。今ある蓼科が、本当に多くの方の力でできてきたものだということが分かります。
蓼科に関心がある人間にとって、この記事は、このまま埋もれさせるには余りにも貴重なものです。
そこでコピーを本WEBに掲載することといたしました。ぜひご高覧いただければと思います。以下、全25ページのPDFファイルです(ファイルの大きさは約19mb)。
@長野日報様には、2020年6月9日付けメールにて掲載のお願いをしております。著者の五味様へは連絡先が分からず、こちらから連絡出来ておりません。コピーライトその他でもし差支えがあるようでしたら本記事は削除しますのでご連絡下さい。m(_ _)m
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